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2024年4月9日火曜日

ヒスイカズラを見に来ました。とっとり花回廊へ!なんと60万アクセス!

ヒスイカズラを見たくて少し遠出しました。
(2024年4月2日)
今回は往復を一人で運転してみました。なんとか無事に運転ができました。少しですが自身もできたので行動範囲を広げたいです。
私のブログが60万アクセスを超えていました。60万アクセスを越したことに自分では気がついていなかったのです。素直に嬉しいです。
近くにはヒスイカズラが見える場所なく、とっとり花回廊まで出かけました。
やっと見ることができました。
家族は他の場所も見学したのですが、私はヒスイカズラだけを見学です。

大きな木なんですね。温室の一階から2階まであ動く大きいのすぉどろきました。

色合いが素晴らしい!

拡大したところです。
久しぶりに必死に撮影です。

一房をじっくり撮影してみました。

見に行ってよかったです。
せっかくですから他の写真を以下に掲載します。

大仙の雪化粧
久しぶりに見ました。

花回廊からの大山です。

温室の中の蘭

良い色なので気に入ってます。

大きな蘭

可愛い欄

桜と大山

ビロードツリアブも!








2024年4月7日日曜日

桜を愛でながら散策!総社北公園とヒイゴ池湿地

 お天気も良く、桜も満開でとても気持ちの良い一日を過ごすことができました。
いたるところで桜がきれいでした。公園内部もとてもきれい!
総社北公園の中まで歩くのは今回が初めてです。
スズメノエンドウ

ツツジも満開

シハイスミレ

ハナカイドウ
ここはとてもきれいでした。

どう見ても鳥の巣ですが、近づくことができなくてわかりませんでした。

いよいよヒイゴ池湿地へ
サワオグルマが咲いていました。

こんなに早く咲くとは!

自然を大切にしたいい公園なのですが、イノシシが少し荒らしているのが残念でした。
レンゲショウマが残っていました。
ホソヒラタアブも!

桜の花びら!

カナヘビがたくさんいました。

オタマジャクシも!
春爛漫でした。これから一気に花や生き物が出てくるのでしょうね。
昨年の心配もあり、これからは意識してのんびり春を楽しみます。









2024年3月23日土曜日

ヒレンジャク 我が家にやってきてナンテンを食べ尽くす。

 朝食時に窓から野鳥の群れが見えました。
同じ場所に来るのは鳩やツバメですが、大きさが違っています。
生憎の雨で周囲が暗く確認できません。スコープを持ち出してやっと確認です。

レンジャクの仲間だとはっきりわかりました。
嬉しいですね。それからカメラを持ち出してそっと接近です。
イカの写真は撮影順です。
数えると全部で30数羽です。

一斉に飛び立ち、お隣のアクラ(クロガネモチ)の実を食べに一斉に移動です。すごい勢いで食事してまた戻ってきます。

我が家に少し接近してくれました。
暗くてあまり色が出ません。ヒレンジャクですね!

カメラを準備していたときに足元で何かが・・・
シジュウカラがチョコの毛を集めに来ています。

そしてその前の電線にはもう一羽が警戒しています。

シジュウカラとヒレンジャクです。

ヒレンジャクがどんどん近くに来ます。
そして一斉に飛び立っては戻るのが繰り返されます。
少し残念なことに、ヒレンジャクは我が家の屋根とナンテンの木にキていたようです。気がつくのが遅すぎました。
自宅から撮影です。


我が家のナンテンを食べています。

きれいな羽です。

たくさんあったナンテンの実はあっという間になくなりました。

しっかりと見てくれています。

もう少し早く気がついたら良かったのですが、これでも満足です。

ナンテンの実がすべてなくなり、我が家からはいなくなってしまいました。

その後、我が家周辺で食事をしていたようですが、昼過ぎには見かけなくなってしまいました。













2024年3月13日水曜日

国土地理院の写真から時代の変化を確認できました。玉野市十禅寺山周辺

googleマップで八浜の両児山周辺の地図に間違いがあることに気が付き、他にも多くのミスが有ることに驚きました。確認の意味で国土地理院や他の地図を少し真面目に見てみました。民間ではyahoo地図だけがミスが少ないことがわかりました(まさかと思ったのですが、ネット上の地図は間違いが多すぎることに初めて気が付きました。)。
今回、国土地理院地図や航空写真によって私の幼い頃の記憶が鮮明になったり、新たに発見できたことがありますのでそれをアップすることにしたのです。
十禅寺山の上にぽつんとある建物はいつ頃できたの?
まず最初に玉野市田井にある十禅寺山周辺の変化を発見できました。
現在は一軒の家が山の上にあります。

撮影期間(1961年から1969年)
十禅寺山は今と大きな変化はありません。一軒の家はありません。
このときに海に浮かぶ多くの筏を発見できました。驚きました。
これは真珠の養殖筏です。知っています。
実は私はこの真珠の養殖筏の上に乗り釣りをしたことがあります。
筏の下にはチヌ(クロダイ)が集まりすぐに食べきれなくなるまで釣れたのです。また、アコヤ貝の貝柱もとても美味しかった記憶があります。
その養殖筏がある日、急になくなった記憶があるのです。
当時、瀬戸内海でも真珠養殖が盛んだったのでしょうか?
ネットで調べると、当時の記録が少し残っていました。
---------一部のみ抜粋-----------
岡山県水産課資料より
……真珠養殖には全く縁のなかった岡山県でも、32年からこの養殖が行われるようになり、35年には、県下九ケ所で経営されることになった。
・・・・・・・・
本県海面の真珠養殖場としての特長は、豊かな栄養と、水温比重の変化によって、貝の成育も良く、良質の真珠が生成される・・・・・
32年にはまず東部の日生地先、及び県中部の玉野地先で経営が始まった。
------------------
やはり、真珠の養殖は岡山県であったんですね。

1974年-1978年
この写真を見ると真珠筏はすべて消滅し、かわりに材木置き場が点在しています。真珠の養殖事業が完全になくなり、変わって輸入材木の貯木場が存在しています。
この頃からの記憶はかなり私にも鮮明に残っています。
それとは別に、十禅寺山の上に一軒の家が写っています。位置は同じです。それ以降もずっと写っています。そして果樹園のようなものが一気に広がっています。(実はこの記憶が私にはありません。)拡大してみると十禅寺山周辺から大藪地区の奥深く、さらには大崎地区まで広がっているのです。相当の規模です。みかん畑のようです。みかん畑を作った人の家でしょうか?
玉野市の図書館に十禅寺山のみかん畑の資料がありました。
目録ID mp01082100-200020
製作年 昭和44年(1969)
貴重な写真が残っているものです。
更に航空写真を除いてみました。

1979-1983年
ここでも大きな変化が見られます。貯木場が減ってきているのです。
更に驚いたことに、みかん畑が殆ど消えています。十禅寺山以外にも極端に減っています。おそらくオレンジ輸入自由化と連動して補助金により、みかんの木を伐採したのではないかと思います。
玉野市は当時は造船の街として栄えていたためなのか、造船以外の事はあまり大きなニュースにならなかったのかもしれません。それ以外のことはあまり着目されなかったのでしょうね。
山田地区の塩田(昭和30年頃からの流下式塩田)跡がこの写真の時代までは残っています。
この跡から塩田は消えていったようです。

2024年度国土地理院最新版(実際の撮影に美は数年前と推測)
ほぼ現状の写真です。
十禅寺のみかん山は完全に消滅し、あっという間に森林に戻っているのです。今も残っている大藪地区のみかん畑ですが、面積はごく僅かになっています。
貯木場も完全に消滅しています。
塩田の跡は埋め立てて商業用地や巨大太陽光パネルに変わっています。
海のほぼ中央に一文字の石積みができています。わずか数年間の養殖のために税金を投入した残骸です。今は養殖はないです。
以上4枚の切り抜き写真ですから時代の変化を確認することができました。ごく狭い範囲の歴史ですが、前回調べた八浜の繁栄の後の変化にも共通ですが、人の生活は繁栄や衰退を繰り返していくのでしょうね。
国土地理院の地図はパソコンでなければなかなか使いにくいのですが、石川県の地震や津波の状況など速やかにアップされているところにも感心しました。

2024年3月10日日曜日

ふたごやま(両児山)散策 八浜の歴史とクスドイゲの発見

今回は玉野市八浜の両児山を散策しました。
私はその近くにはよく行く場所なのですが、両児山には数回しか登ったことはありません。今回、事前に下調べをしてもて、八浜や両児山がなんとも不思議で興味が湧いたのです。
自然環境体験公園からみた両児山(標高約60m)です。左は金甲山です。
河津桜がちょうど咲いていました。

公園の中をまずは一周しました。
私自身は良く来る場所です。

両児山に向かうとほんの数分でリーダがクスドイゲを見つけてくださりました。流石です。若木の枝に3cmくらいの棘あるということで、自宅周辺でも見たことがある気がしていたのです。棘を触って痛い思いをしたこともあったので、現物の確認がしたかったのです。事前に探しに来たのですが、見つけることができなかったのです。 
岡山県でも海岸近くにあるということなので、この山が昔は海のそばであったということです。
八幡宮です。実はここにはたくさんの神社がお祭りされています。
歴史があるらしいです。

八幡宮の中です。
約300年前の絵馬が奉納されています。

絵馬に関する説明資料です。

奥からはとても眺望がいいです。

この日が宮司が来られていて案内をしてくださいました。
ここに人が来られていることすら知りませんでした。
すぐ隣りにある、快(こころよし)神社です。屋根にはおたふくの飾りがあります。

ここには八浜の昔の資料や写真も奉納されていました。
八浜駅ができた当時の馬車写真もありました。

-------余談------
googleマップでは八幡神社の位置は快神社になっています。以前から気になっていたのですが、googleマップでは日本の古い神社などかなり間違っています。どうもユーザーが申請した間違った地名をいくつも登録しているのです。気をつけなければなりません。このことが原因で国土地理院の資料を見ることになりました。そのためにもっと驚いた発見をしたのですが、それは別の機会にアップします。
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山桜もきれいに咲いていました。

八浜城の横堀の跡です。
八幡神宮にあった資料「八浜の戦いと城」という資料に詳しく記載されています。中身は平成6年2月に岡山県古代吉備文化センターが発行しているので最新の資料でした。この中にも興味深い内容や疑問に思っていたことが記載されたのです。

最後のビッグプレゼントはヒレンジャクです。
35mmレンズではこれが限界でしたが比較的よく見えたので満足です。

短い散策でしたがとても有意義でした。昔の繁栄と今の様子や、漁業なので事も八浜周辺を更に調べてみます。